うふふ♪
ついにお迎えしちゃいました。
allureさんとこのA-STYLEで販売されている、アートなしめ縄。

もうそろそろ、自分の好きなアートと暮らしてもいい頃合いかと思って。
つまり、いつの間にか、気に入った大きなアートと共に暮らすのを自分に許さない(小さいものはかろうじて可)、自由を制限するコマンドが入っていたのに気づいたので。

制限解除、することにしました。

実は数年前から、allureさんちの壁に飾られた羽ばたきが広がるようなしめ縄を眺めていました。
それはそれは、実物を肉眼で見ないとわからない迫力がありまして。
年を経るごとにいい感じの飴色になってゆくんですよね。
数も、ひとつ、ふたつと増えてゆくのを、家にお伺いする度にじっくり眺めては「自分の家に、こういうアートがあったなら、それはどんなに素敵な生活だろう」と想像をはばたかせていたのです。

私の実家はむかし米を作っていたので、子守られがてら田植えや脱穀に参加していました。
なので、稲がなんとも身近で愛おしいものでして。
三度の飯に欠かせぬ米を作る上に、藁・籾・米糠・プラントオパールまで作っちゃうんです。
凄いですよね、稲。

話は変わりますが、今年に入ってすぐの頃「きさラボ、どうしていくのがええんやろ」と上に尋ねた時に降って来た、でっかーいメッセージがありまして。

「編めよ」

ときたんです。
何やら螺旋🧬のようなフォルムが感じられます。
「えっ?!編み物?DNA?…ちがう」
「…う〜ンむ。ナルホドワカランw」
となり、
「なにをですか?縁?人間関係?」
と問い返せば、

「繩を」

と返ってきたんですよね。
「…ナルホド!ワカランwww」
問い返そうにも、もう上は去った後。アラ〜
去り際に「もうしっとるやろがい〜」みたいなニュアンスがあったような気がしますw

その時は、命綱?麻紐?しめ縄?などと連想していたのです。
縄って何にでもあるしなるじゃないですか。
あとで小山内さんの本に出てきた単語の「縄す(ただす)」でもあるのかなと思い至りました。

でも、ほんとうの意味がわかるのは「これから」のような気がします。
上からのメッセージは多重構造であるのが常なので。

そんな訳で、なぜか目が引き寄せられて離れなくなったこのしめ縄アートを、目に留まるところに飾って心に常中してもらおうとおもったのでした。
ちょうどめでたいお正月を迎えますしね♪

ポジションぎめ、もうすこし試行錯誤が必要かしら。
飾ると頭の奥がもにゅんとしました。ナンダコレw

しかし、自分に「手に入れるって決めてもいいよ」と制限解除するまで、逡巡がすごかったですw
昔からアートが好きで、画廊に通っていた時期もありました。
作品はどれも一点もの。
作る側にたつと尚分かりますが、初めて作るかたちには、2番手3番手にはない濃さがあるのです。

そして好いものは、わかる人にはわかるのです。
ノコノコと勇気を出し損ねている間に、手が届きそうだったお気に入りのかわいこちゃんは、誰かに連れ去られてしまうのです。
何度泣きぬれたことか。

どんぶらこっこと流れてきた桃(幸)は、
逡巡してると流れて行っちゃいます。
掴まねば。

どうしよう、でも、ああっ、とか躊躇してるうちに、
あっという間に手の届かないところまで流れて行ってしまいます。
他人の手に渡ったのを目にして
「…っクゥ〜…あれは私が掴み損ねた桃(幸)…」
となるのは、なんともしょっぱい気持ちです(経験談)

なので今回、エイッ!ヤア!!、しました。

直感的に「これは桃だ!」と感じたら、
掴む瞬発力が必要ですね。
でも、掴むその瞬間は、意味はわからないんですよね、ただコレだ!という気持ちだけで…

あとでわかるのその謎を、ゆっくりときほぐれてゆくその過程。
愉しくてたまらん、ですね。
自分以外の人とも一緒に楽しめたら、尚のこと、なんだろなと思います♪

 

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