最近のメッセージ:自覚

問いをたてるときに、
その前提を自覚していない。

 

4月からGW中、そういう相談やシチュエーションばかり目の前に転がり込んできてました。
「なんだ?」とおもっていたらメッセージでしたw
おまけにフーチする時の「基本のキ」でもあるようです。

 

いつも上的存在に「問え」といわれます。
ただしく問いをたてることができたなら、答えは得たも同然。
だってあらゆる情報は全て”そこ”にあるので。

 

でも、大抵の人は、疑わないです、その「問い」の前提。
あることも自覚していなかったり。

なぜならそれは、意識しないくらい慣れ親しんだものなので。
毎日の通勤路や自分の寝室の配置のように、寝ぼけていても、歩けちゃう。
慣れ親しんだものであることが、正しいと”感じる”根拠であったりします。
繰り返し聞いて慣れてくると、うっかり「信じるに値する」と認識してしまう、あの構造です。
そこにあるのに、みえていない前提。
盲点なのですよね。

 

ただしく問いを立てるのに、
「なにを自分は正しいと思うのか」の自覚はいりますよ、と。
でないと、陥りやすい罠にはいりやすいですよー。
あと、認知したくないでしょうが
、うっかり他者に操作されてしまう状態です。
自由であれ、と願います。

 

自分が正しいと思う前提を、毎回、全てを疑えといいたいわけではないのです。
それはめんどくさいのでやらない・できない人の方が多い。
まるで禅問答のようだと。
自由とは、自分で選択する”面倒くささ”でもありますからね。
”そこが愉しい”になればこっちのものなのですが…まぁそれは置いといてw

 

何かもやもやしたり、こんがらがっている時くらいは、
やってみては如何でしょう?

 

前提に意識をむけてみて、そこにあるものに気づいて、自覚したなら、
ほどけることがかなり多いようです。

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