ろうそくの明かりを灯す

こんばんは、みなさまご機嫌いかが?つるです。
上からポロりと転がってきたものがあるので、シェアしますね。
これは今週のメッセージでもあり、2月の自立研に参加された方々への補足かなと。

今週のメッセージ:
ろうそくの 明かりを灯す

先日の自立研で話した内容、そのうちのひとつについて、男性陣たちのお顔に「ナルホドワカラン」って書いてあったので「伝えるってむずかしいやw」と思っていたのですが、それをうまく説明しているように感じる動画がありました。


https://youtu.be/q30pWvTCFF4?si=apX1av7sqmquyISs


https://youtu.be/Ps6BdrRplns?si=4p-NEe-tON0bNCv3

ろうそくの明かりを灯す、ということは、まわりを強い光で満たす必要はない、ということ。
そこに在る、静かにすると滲み出てくる光を、感じるということ。

上の動画で、
岡潔さん…「情緒」「ろうそくの灯り」
養老さん…「身体の声」
と、それぞれの方が話している部分と同じもの。

それをこないだの自立研では「感情に蓋をしない」「我慢するのをやめる」という切り口で説明できるんちゃうかなー、と私はトライしてみたのでした。
それで「ああー、わかる」と言ってくれる人もいれば「ウン?ピンとこないよ」という人もいて。(それはそう(それでいい))
伝えるって、難しく、楽しいですねw
精進します😂

自立研の男性陣が腑に落ちない様子を感じたそこのところ、こちらのおじさま方のお話がピントがハッキリなので、ピンとくるのではないかと。

これぞまさに自立研で話題にした「翻訳(フィルター)ge3値」の「適材適所」というやつなのかもしれないですね。

そういえば、以前きささんの話で「寿命がわかる、命のろうそく」の話がありました。
ここでいう「ろうそくの炎」は「自分の命」と例えてみるのもおもしろいです。

自分の炎を感じずに、
問いは立てられるのか?
アンカーはうてるのか?
自立可能なのか?
という…

情報収集/情報削減、このどちらもが必須です。
フウチをするに於いて。

「問い」のためには情報収集が不可欠で、
問いを「立てる」ためには削減された「静」の中にすっくと立つ自身が不可欠で、
答えを得た後、さにわをするためには何が必要か。

そのあたりの塩梅、うまくやらんと穴に落ちる、と感じます。

自ら滲み出てくるろうそくの灯りを感じられるなら、上に尋ねるまでもない、そういう問いを立てるのは依存。
情報収集せずに漫然とした問いを立て、上の出した答えを盲信しようとする、これも依存。
そもそも「上のいった通りにする」のは依存なんですなぁ。
尋ねるのは上でも、キメるのは自分の腹ですぜ。

「依存」と「頼る」は違います。
そもそも自分で決めらければならないことを、上への問いに仕立てようとする人が多いです。

自分の灯りをみずに、他人の灯りばかりみてても、いい塩梅がとれるわけもなく。
自分の腹がご機嫌になる塩梅を、うまくとっていけたらいいですね。

足元を、あかりで照らしていきましょー♪

 

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