最近のメッセージ

【10月第4週】
余白

 
 
 
 
 

空けると、
降りてくる、
開かれる。

 
 
 
 
 

空いたところに、
入ってくるものが見える?
あるいは、
既にあるものが見える?

 
 

そこになにがあってもいい時間・空間と、共にあること。
これが現代人には、至極難しいらしい。

すぐ何かで埋めちゃう習性があるみたい。
理屈、正論、思い込み、…あるべきと思うもの…、
もう夢中にやっちゃう習性みたい。

行間を読むにも、まず、間、がないと。
(サテ、問題デス。コノ記事ノ行間ニハ一体何ガ詰マッテイルデショウ?)

タイパ・コスパの対岸にある「間」に宿るのが、美や美味だったりもします。

 

「間」は受け入れるところ、
「空」は生まれいづるところ。

 

耳を澄まして、目を凝らすことなく、五感を開く。
そうすると、「あるよ」って返事が返ってきますよ。
なんにもないはずなのにね。

フーチをするには、
それらと共にあることが、スタートラインのように感じます。

 

2件のフィードバック

  1. おおきにです。
    街中でスナップ写真を撮るときには余白を意識してみると、いい絵が撮れそうですね。
    余白は空そのものであったり、光で照らされる部分と照らされていない部分との対比が間になるのかな。なんて考えながら撮影するのは楽しいですね♪

    • c35さん、コメントありがとうございます。
      ですです〜♪
      撮影する時にも「余白」はすごくいい仕事してくれますよね。
      きささんとの「よもやも」であげた「フチの話」にも繋がってきます。

      C35さんのいうとおり、スポットライトが当たる部分と当たらない部分、この両方があってこそですね。

      余白とか、間とかいうものは、
      料理のお皿の余白であったり、
      窓を開けた時のレースのカーテンの揺らぎであったりします。
      いとおしいですね。

コメントを残す