今週のメッセージ
【2025年6月 第1週】
必要は発明の母
必要ないと、問わない。
問わないと、こたえも得られない。…という感じ。
(それは答えであったり、応えであったりします)
”求めよ、さすれば得られん”ってやつでもあるのかも。
そして、その向こう側にある言葉といえば、
「他人事ではなく自分事として活かす」
これ。
先日、Xでこんな投稿を見たんです。
でね、私が思い出したのは”火災責任者”という資格を取るために、消防局で甲種防火管理の消防法講義を受けた時のこと。
教壇に立った人の講義の出だしは、こう。
「消防法は人柱法ともいいまして」
「そこにルールがあるということは、既にお亡くなりになった方がいたということなのです」
「そこで私達ができる事はといいますと…」
身が引き締まりましたよね。
「”ドアの前に物を置いてはいけない”とかいう何故かわからんしちめんどくさいルールの山」から「いざという時に身を守る術」に大変身。
きさラボで、座談会で、よもやもで、
いつも私が、結論からでない拡散しがちな拙い話でも、エッコラよっこらテーブルに載せ続けてるのは、
自分の体験談や気づきが、必ず誰かのきっかけになると信じて疑わないからでして。
(じゃないと、あんなに恥ずかしい話もいっぱいしないw)
(おれのしかばねをこえてゆけw)
そして、きささんやallureさん、それから他の方達のお話全部、じぶんにとって、そう、ありつづけるからでして。
それが一足先をゆく人であっても、
身の回りの人であっても、
ともすれば自分が踏み込んだことのないような遠い世界に感じられる人であったとしても、
とっても大事なのではないかと、私は感じているんです。
なぜなら、彼らと私の世界はシームレス。
子育て介護、政治に経済、人間関係そのほか全て。
他人事にしているうちは、考えないでいいからラクよね。
でも、その行末は?
ぜんぶ他人事にして分断してるうちは、行く末は残念なことになるんじゃないかしら。
自分事にした途端、必要になるでしょ?解決方法が。
そしたら、さがすでしょ?
そうやって、はじめてうかんでくるものがあるのではないかしら。
自他境界をしっかり拵えた上で、ほんの一歩だけ、想像力を起動してみる。
(自他境界の線が引けてない人は、まずそっちをかんばろ)
たったそれだけのことなのだと、私は思いますけど、
それすら惜しい人が居るらしい。
OH…
惜しむことで失ってしまうものについても、
想像することをしないから、
気づくことすら、
ない。
いやんばかん。
みんな忙しすぎるんや。
お脳をマイナスのスパムにヤラれてしもうとるんや。
”ほんのちょっと想像できる、余白をあける”っていうコマンドも、歯磨きみたいに、日常に組み込もうZE☆